2009年10月23日金曜日

UFC104 外伝

朝8時に起床して荷造りを終えると、僕は10時11分、逗子駅発の横須賀線・総武線直通成田エアポート・成田空港行きに乗り込んだ。UFC104で試合をする、岡見"Thunder"勇信に帯同しロスアンゼルスに向かうためだ。
勇信と出会って早9年、東京、モスクワ、ホノルル、ソウル、ラスベガス、ベルファウスト、イリノイ、オハイオ、テキサスと、最初は彼の手を引くような思いで、そして何時しか彼の逞しい背中を眺めながら世界を供に転戦してきた。格闘技に関わるようになって以来ロスには何度も足を運んでいるけれど、意外なことに勇信とロスを訪れるのは今回が初めてだった。
寝不足で、溶けた鉛の様にゆっくりと働く頭の中でそんなことをとりとめも無く考えながら僕は携帯を取り出し勇信にメールを打った。
「パスポート、忘れるなよ。」
初めて勇信と海外に遠征したのは8年前。雪がちらつく初冬のモスクワで、ロシアの強豪アマール・スロエフに完膚なきまでに叩きのめされプロの洗礼を受けた。スロエフのスポーツマンとしての暖かさに励まされた。本当の意味での勇信のプロデビュー戦。敗北にいらつき、現実を明日への糧へとするには時間がかかった20歳の岡見勇信。己に向き合い、現実を見つめ世界の強豪と戦い続けた8年間。いつしか頼りなかった少年の面影は姿を消し、格闘家としての勇信の立場にふさわしい頼もしく、そして逞しい成年へと勇信は姿を変えた。
今となっては僕のこの”パスポートメール”も「必要な手続き」から「いつもの儀式」へとその意味合いが変わっていた。
「もう、このメールを打つ必要も無いかもしれないな。」とぼんやりと考えていると、ズボンのポケットの中で飼い猫のズズ坊が鳴き声をあげた(僕の携帯の着信音なのです)。
案の定、それは「了解です、大丈夫です(^-^)v」と言う、ご丁寧に顔文字が添えられた勇信からの返信だった。
「思えば遠くに来たものだ...。」
それは別に車窓から眺めた佐倉の田園地帯の稲の借り入れが終わった冷たそうな水田が僕にそうつぶやかせた訳ではなかった。MMAを志し、日々トレーニングに励む若者が世界中でどれほどいるのだろう?世界中のローカルイベントでの熾烈なステップアップファイトを這い上がり、MMAの頂点と言えるUFCの目に留まり、オファーを受ける幸運に浴する選手はどれほどいるのだろう?選び抜かれた選手同士の過酷なサバイバルマッチを生き残り、UFCの”コンテンダー”と認められる選手はいったいその競技人口の何パーセントなんだろう?
凡人である僕にはその厳しさ、過酷さを数字で計算する気にすらならない。だけど、岡見勇信は紛れも無くそのUFCミドル級のトップ・コンテンダーの一員なのだ。
今度のUFC104でのチェール・ソネン戦をクリアーすれば、勇信はMMAの世界の頂点と言える、UFCミドル級チャンピオンシップに向けた大きな一歩を進めることになる。
彼はいったいこの僕をどこまで連れて行ってくれるのだろうか?
再びズズ坊がポケットの中で鳴き声をあげた。今度はメールではなく通話を着信している。勇信からだ。「もう成田に着いたのかな?」と思いながら、ささやくように口元を隠しながら携帯に出た。

「礒野さん、大変です!パスポートを無くしました!」

勇信、ごめんよ、僕の感情の容量は君が巻き起こす騒動に対して何らかの感情をもてるほどのキャパシティーが無いみたい。なんと言うか、驚くことすらできないよ。
いや、正確に言うなら「ああ、勇信でもこんな半泣きになることがあるんだなぁ。」とちょっとだけ意外には思ったけど。
即座に「うん、しょうがない。」と全てを諦めつつ覚悟を決めると小声で勇信にどうするべきかの指示を伝えてひとまず携帯を切る。電車はすでに成田周辺のトンネル地帯。携帯の電波は不安定になっている。頭の中ですばやく優先順位を組み立ててから矢継ぎ早に各所に報告と対応をお願いする電話を掛ける。
電車の中で通話をするのにちょっとためらう気分もをあったけど「すいません、勇信がパスポートを紛失しまして...。」と聞こえたのか聞こえなかったのか分からないけれど、周りの皆さんは気づかないフリをしてくれました。
再び勇信に電話を掛けると携帯越しに彼がすでに駅長室にいるのが分かる。
「ダメです、見つかりません!」
う~ん、勇信、君は僕の想像をいつも超えているよ。ホントのトコロ、君は僕をどこへつれて行く気なの?

~つづく

0 件のコメント:

コメントを投稿