2010年5月7日金曜日

仲間

先日の稽古中、とてもショックな事件がおきてしまいました。

僕が14年間所属している和術慧舟會は、”和術”と名乗っているくらいですからそもそも柔術の指導者も無く、その練習環境はほぼ皆無と言ってよい状況でした。
2006年に紫帯を巻くようになり、己の柔術の頂を追及する為に、毎日ギに袖を通す環境が必要だと考え、回りの人間に僕の知りうる限りの柔術の面白さを伝えながら、少しずつ仲間が増えてできたのが和術慧舟會の柔術チームです。比較的全体の年齢層は高く、大半のメンバーはしっかりとした社会人なので、毎日会社に柔術着を持って出勤し、仕事を終えるとわざわざ道場に足を運んでくれる彼らは、お互いにとって大切な練習相手であり、尊敬できる大人であり、そして心を許せる仲間なのです。
柔術を生涯楽しみたいと考えてくれている彼らとの練習で僕が最も大事にしていることは、厳しい練習をすることではなく、手ごたえがありながら怪我をしない、怪我をさせない。相手の心と体を互いに思いやれる雰囲気作りでした。
ですから僕は自分がスパーをしていない時はもちろんですが、スパーの最中にでも周囲の様子にそれとなく目を配り、なにか気になることがあればそれが問題になる前に方向をちょっと修正し、日中は様々な悩みや問題を抱えているかもしれないメンバーが、ひとたび道場に足を運べば練習に集中し、そして練習が終わる頃には日常にある様々な悩みや問題に対して前向きに取り組む気持ちを持てるように、としてきたつもりでした。

でも、事件は起きてしまいました。

それは僕がかつて大きな黒いサンドバッグが吊ってあったあたりでスパーをしている最中でした。
ふと異変を感じた方向に目をやると、加藤さんが首をつってしまっていたのです。 一瞬の出来事でした。かすかなうめき声を上げながら自分の首のあたりを両手が彷徨っている加藤さんを見ても、僕は何が起こっているのか全く理解できませんでした。廻り稽古に参加していた誰一人として気づかない、皆の視線が加藤さんから離れたわずかな瞬間に、加藤さんは首をつってしまっていたのです。

ショックでした。

加藤さんはとても人生経験が豊富な方で、嘘かホントか分からないような、最高に”トンガッタ”昔話でいつもチームの皆を笑わせてくれる存在でした。
でも加藤さん、どんなに昔のワル話をしたって僕らは加藤さんが本当はすごく純情で、そしてきっと涙もろいんだろうって知っていましたよ。
「やっと俺をちゃんと評価してくれる所が見つかった。」ってあんなに喜んでいたじゃないですか。どうしてそんなになるまで一人で自分を追い込んでしまったんですか…。
頑張りすぎですよ、加藤さん。

仕方が無いので充分にストレッチをしてもらってから廻り稽古に復帰してもらいました。僕も疲れがたまったり、寝不足だったりするとふくらはぎや背中をつってしまうことがよくあります。ミネラルが足りないんですかね…。
皆さんもこむら返りには充分に気をつけて!

2009年10月25日日曜日

UFC104 外伝III

見てください、この笑顔!
一度は心無い人に持ってゆかれてしまったパスポートですが、捨てる神あれば拾う神あり。幸運にも親切な方が見つけて彼の手元に戻ってきました。

ぎりぎりのタイミングでロス入りはしたものの、のんびりしている時間はありません。 空港から直接Dr.グルックマンのオフィスに直行。山のような書類にサインをしつつ、あちらこちらの部屋に行ったり来たり。
写真は散瞳直後の岡見”サンダー”勇信。微妙なサングラスでまぶしさをこらえます。
全てのメディカルが終わってホテルに着いたのは現地時間の19時過ぎ。ようやく荷物をといてしばしの休息です。

23日の午後4時には公式計量。
今回は6キロの水抜きが待っています。
写真はセコンドとして勇信に同行してきた藤井陸平。
なんですかね、首の傾げ方といいじょうごの摘まみ方といい、ほどよくだらしない胡坐の組み方といい、ホテルの一室で作ってはいけないものを作っちゃっている密入国しちゃった方にも見えますが、一応これも減量の一部です。
ちなみにソネンは陸平(95kg)を最初見かけたときに勇信と勘違いして「ありえないデカさだろ!」とかなりビビッたそうです。
ごめん、ソネン、実は普段の勇信(101kg)は今の陸平よりデカいんです。

難なく減量を仕上げると、無事今回の対戦相手、チェール・ソネンとフェイス・オフ。
ソネンも大分絞っていますね。
明日はきっと全然別の人になっているんでしょう。
最初は色々あってどうなることかと思いましたが、そこはさすがに勇信でした。
精神的なストレスも、時間的なハンデもものともせずに、今までで最高のコンディションをキチンと作り上げました。
ソネンもNCAA王者に二度も輝き、WECミドル級王者にもなったUFCミドル級屈指のタックラー。まさに今後のUFCミドル級のタイトル戦線を占う一戦です。
あと2時間もすれば会場入り。8時間後には全ての結果が出ているでしょう。
UFC104で行われる岡見勇信xチェール・ソネンの一戦、皆様ぜひともお楽しみに!

UFC104 外伝II

15時30分に成田を離陸する予定だったNW02便はこの日はキャリアトラブルで離陸が18時30分に遅延された。僅かでも時間が稼げれば、勇信のパスポートが16時前に見つかれば、運がよければ16時3分東京発の成田エキスプレス37号をつかまえNW02に滑り込むことが出来るかもしれない。ノース・ウェストのカウンターで地上乗務員に事情を説明し、最良のケース、そして最悪のケースに備えた対応策を相談する。仮に16時過ぎにパスポートが出てきた場合、今日中に飛ぶことは出来ない。
じつはもう一つ問題が発生する可能性があった。それは今回はカリフォルニア・アスレチック・コミッション、CSACの認可を受けたカリフォルニア州内のドクターによってのみ、有効なメディカルを受けることができると言うことだった。カリフォルニアで必要となる主要なメディカルは、Eye Exam、EKG(心電図)、MRI(磁気共鳴画像装置)、Blood Exam(血液検査)などだ。このうち時間がかかるのがMRIとBloodで、MRIは予約が無ければ直ぐには受けられないし、Bloodは検査を受けて結果が出るまでに最低でも丸1日かかる。
おそらく今回のメディカルはLAX(ロスアンゼルス国際空港)に比較的近いDr.グルックマンのオフィスで取ることになるだろうから、午前中にLAXに着ければ21日着でも23日の公式計量に間に合わせることができる。
ところが残念なことに、ノース・ウェストのカウンターで仮押さえができた21日発のエアーはポートランド、ソルトレイクを経由する便しかないためロス到着は14:44分。これでは明日の便でロス入りできてもメディカルが間に合わない...。
勇信、今回のトラブルは君のキャリアにとって致命的なものになるかも知れないよ...。
16時を過ぎても勇信のパスポートは見つからなかった。
「最終的な結論が出るまで試合があるという前提でキチンとコンディショニングをしてくれ。あとはパスポートが出てきてもJRの陸送に乗ってしまうと2~3日受け取れなくなる可能性があるかもしれないから、中央線の各駅を回って”何度もすいません!”と頭を下げて足で探すしかないよ。」と最後に携帯で伝えると、浮かない気分で18時30分発のNW02便に乗り込んだ。


8時間ちょっとのフライトで現地時間11時半ごろにLAXにつくものの、ZUFFAのドライバーとうまく合流できずにWilshire Grand Los Angelesについたのが15:30。ホテル内のZUFFAオフィスでチェックインを済ませると、グレッグさんが「あとはファイターをつれて来るだけだ。」とちょっと暗い面持ちで口にした。
ところが部屋に入ってPCをWiFiをつなぐと、次々とグッド・ニュースが舞い込んできた。
「有りました。とりあえず、エアーやります」
「岡見君、藤井君と同じスケジュールで到着します」
「メディカル大丈夫みたいですね、連絡きました」
ありがたいことに、僕が機中にいる間に、勇信に関わる方々が全力で働き、全ての問題をクリアーしていてくれたのだ。
この時になって初めて、この件に関して驚きを通り越した感情が胸に沸き起くるのを感じた。

「よかった...。」

~つづく

2009年10月23日金曜日

UFC104 外伝

朝8時に起床して荷造りを終えると、僕は10時11分、逗子駅発の横須賀線・総武線直通成田エアポート・成田空港行きに乗り込んだ。UFC104で試合をする、岡見"Thunder"勇信に帯同しロスアンゼルスに向かうためだ。
勇信と出会って早9年、東京、モスクワ、ホノルル、ソウル、ラスベガス、ベルファウスト、イリノイ、オハイオ、テキサスと、最初は彼の手を引くような思いで、そして何時しか彼の逞しい背中を眺めながら世界を供に転戦してきた。格闘技に関わるようになって以来ロスには何度も足を運んでいるけれど、意外なことに勇信とロスを訪れるのは今回が初めてだった。
寝不足で、溶けた鉛の様にゆっくりと働く頭の中でそんなことをとりとめも無く考えながら僕は携帯を取り出し勇信にメールを打った。
「パスポート、忘れるなよ。」
初めて勇信と海外に遠征したのは8年前。雪がちらつく初冬のモスクワで、ロシアの強豪アマール・スロエフに完膚なきまでに叩きのめされプロの洗礼を受けた。スロエフのスポーツマンとしての暖かさに励まされた。本当の意味での勇信のプロデビュー戦。敗北にいらつき、現実を明日への糧へとするには時間がかかった20歳の岡見勇信。己に向き合い、現実を見つめ世界の強豪と戦い続けた8年間。いつしか頼りなかった少年の面影は姿を消し、格闘家としての勇信の立場にふさわしい頼もしく、そして逞しい成年へと勇信は姿を変えた。
今となっては僕のこの”パスポートメール”も「必要な手続き」から「いつもの儀式」へとその意味合いが変わっていた。
「もう、このメールを打つ必要も無いかもしれないな。」とぼんやりと考えていると、ズボンのポケットの中で飼い猫のズズ坊が鳴き声をあげた(僕の携帯の着信音なのです)。
案の定、それは「了解です、大丈夫です(^-^)v」と言う、ご丁寧に顔文字が添えられた勇信からの返信だった。
「思えば遠くに来たものだ...。」
それは別に車窓から眺めた佐倉の田園地帯の稲の借り入れが終わった冷たそうな水田が僕にそうつぶやかせた訳ではなかった。MMAを志し、日々トレーニングに励む若者が世界中でどれほどいるのだろう?世界中のローカルイベントでの熾烈なステップアップファイトを這い上がり、MMAの頂点と言えるUFCの目に留まり、オファーを受ける幸運に浴する選手はどれほどいるのだろう?選び抜かれた選手同士の過酷なサバイバルマッチを生き残り、UFCの”コンテンダー”と認められる選手はいったいその競技人口の何パーセントなんだろう?
凡人である僕にはその厳しさ、過酷さを数字で計算する気にすらならない。だけど、岡見勇信は紛れも無くそのUFCミドル級のトップ・コンテンダーの一員なのだ。
今度のUFC104でのチェール・ソネン戦をクリアーすれば、勇信はMMAの世界の頂点と言える、UFCミドル級チャンピオンシップに向けた大きな一歩を進めることになる。
彼はいったいこの僕をどこまで連れて行ってくれるのだろうか?
再びズズ坊がポケットの中で鳴き声をあげた。今度はメールではなく通話を着信している。勇信からだ。「もう成田に着いたのかな?」と思いながら、ささやくように口元を隠しながら携帯に出た。

「礒野さん、大変です!パスポートを無くしました!」

勇信、ごめんよ、僕の感情の容量は君が巻き起こす騒動に対して何らかの感情をもてるほどのキャパシティーが無いみたい。なんと言うか、驚くことすらできないよ。
いや、正確に言うなら「ああ、勇信でもこんな半泣きになることがあるんだなぁ。」とちょっとだけ意外には思ったけど。
即座に「うん、しょうがない。」と全てを諦めつつ覚悟を決めると小声で勇信にどうするべきかの指示を伝えてひとまず携帯を切る。電車はすでに成田周辺のトンネル地帯。携帯の電波は不安定になっている。頭の中ですばやく優先順位を組み立ててから矢継ぎ早に各所に報告と対応をお願いする電話を掛ける。
電車の中で通話をするのにちょっとためらう気分もをあったけど「すいません、勇信がパスポートを紛失しまして...。」と聞こえたのか聞こえなかったのか分からないけれど、周りの皆さんは気づかないフリをしてくれました。
再び勇信に電話を掛けると携帯越しに彼がすでに駅長室にいるのが分かる。
「ダメです、見つかりません!」
う~ん、勇信、君は僕の想像をいつも超えているよ。ホントのトコロ、君は僕をどこへつれて行く気なの?

~つづく

2009年6月13日土曜日

UFC99 公開計量

黙々と走る宇野さん。
ホテルのフィットネス・センターに入り、数種類のランニング・マシーンからおもむろに一台を選び出し、軽いウォーキングから徐々にペースアップ。
奥の時計が2:30を差しているように見えますが、これは鏡に映っている為で実際は9:30を回ったところ。正真正銘、計量当日の最後の追い込みの写真です。
ちなみに宇野さんがじっくりと汗をかいている頃、筆者はマシンの設定の仕方が良くわからずドイツ語表示のボタンを色々押し散らかしたり…。
こんなところでも日頃のトレーニングに取り組む姿勢の差が出てしまいます。

間髪入れずにキック・ボクサー松尾さんのミットでさらに汗を搾り出します。
計量はもちろん一発で合格。
岡見と違って宇野さんは減量をかなり早めのペースで進めるため、セコンドとしては精神的にとても楽です。
岡見の場合は減量を仕上げなくてはと言うプレッシャーと同時に、計量会場に行くまでに水浸しになった部屋を片付けなくては!と言う落ち着いて考えると試合とは完全に無関係な強烈なプレッシャーが上乗せされて、ちょっとどうしようもないような心境に追い込まれます。
計量を終えると即座に舞台裏で水分補給。
わずか24時間後には選手の体重は5%~10%ほどは増加し、試合をする頃にはなんだと別の人みたいになっちゃってます。
ふと思いましたが、双子の選手に摩り替わり計量とかやられたら、どうしようもないですね、、、。
あ、また世界のサンダーの舞台裏での大活躍を記すのを忘れてしまった…。

2009年6月12日金曜日

UFC 99計量前夜

UFCでの9戦を8-1と言う驚異的なレコードで駆け抜けている世界最強の日本人、ユーシン・オカミ。
人は彼のことを畏敬の念を込めて"Thunder"と呼ぶとか呼ばないとか。
さすがに世界のユーシン、かつての道場の、そして業界の大先輩たる宇野選手と一緒でもその威風堂々たる佇まいには少しの揺らぎもためらいも見られません。
北に強敵がいると聞けばロシアに飛び、南の難敵と競うべくハワイに渡りと、日本、韓国、米国、欧州と己を高める為に渡り歩き、まさに荒地の石を一つ一つ取り除くがごとく、その格闘人生に現われた強敵達をことごとく倒してきた世界のサンダーはその戦いの準備に一切の妥協を許しません!昨日、今日と探し回ったDSLiteの充電器もついに手に入れ、明日の計量、明後日の本番に向けて気がかりなことは何一つありません。


あ、誤解を招かないように一言申し添えますと、試合をするのは写真中央のエキストラベッドでこじんまりとお休みになっている"Prince" Caol こと宇野薫選手です。左の大きなベッドで大の字になっているオカミ選手ではなく…。
宇野選手の6年ぶりのUFC復帰戦、相手は強敵スペンサー・フィッシャー。
13日にドイツはケルンで行われるUFC 99での一戦をお楽しみください!

2009年3月1日日曜日

WEC39 公開計量

テキサスの朝は早い。
朝の5時に目を覚まし、サウナスーツを着こんで汗をかく。
本当はサウナで汗をかくつもりだったけど、前日に下見をしたら6人も入ると満室になる小さなサウナのど真ん中にマーカス・ヒックスが鎮座していて、他の選手はサウナの入り口に所在無く立ち尽くしているという、「これ、どこのアルカトラズ?」みたいな状態になっていて、おまけに公式計量は朝の10時からというスケジュール。
早い時点でランニングとスパーリングで減量を仕上げることを決断。
その決断が良かったのか、テキサス入りして以来代謝が高く、順調に仕上がってきた大沢の体から最後の2キロを20分のランニング、20分のスパーリングで搾り出すことに成功し、計量が始まるまで戦士にはしばしの休息が。
135ポンドの計量を無事クリアー。
対戦相手のラファエル・リベロと互いに憔悴しきったフェイス・オフ。
剥き出しの笑顔。
減量直後、誰もが偽りの無い自分をさらけ出します。